月に一度は溺れたい

不真面目に真面目なブログです。感情豊かにセックスしたい。

かまってちゃん

筆者のことを猫のようだと形容する知り合いは、少なくない。
群れない、周囲を伺うような挙動、猫目、気分屋、心を許すまでに時間がかかる……。
「猫らしさ」の定義がまだ不確定だけど、言われたことがある特徴を並べると、確かに猫という生き物は近いのかもしれない。


読者の方ならご存知だろうが、筆者は群れないものの、かまってちゃんだと思う。
他人からの好意は1つでも多く集めておきたいと望んでしまう。
愛と呼ぶには重すぎる、興味と好意をすごく遠い距離からキャッチボールすること。
この距離感を好ましいと感じる部分が、猫らしいという表現になっているのではないかと感じる。


自分のことをずるくていやらしくて卑怯だと思う節は、数え切れないほどある。
あまりに近いと、投げるのに緊張が走るのだ。
あまりに近いと、暴投や捕逸の言い訳ができないのだ。
それなら、と筆者は距離をとる。
遠いんだもの、届かなくてもしょうがない。
遠いんだもの、受け取れないこともあるよね。


仲良くなりたいなと感じる人、タイプだなと感じる人。
それは、貴方のことは好きだけど、1番じゃないよって絶対に言うはずの人。
愛したりはしないけど、ちょっといい事しようよって誘う人。
絶対に手の届かないところにいるくせに、自分を甘やかしてくれる人。

また、あの人に会えるチャンスが巡ってきた。
だからこんなことを考えてしまうのだろうか。
また、あの人が筆者の本性を求めてきた。
だからこんなことを考えてしまうのだろうか。


若い間に遊んでおけ、と声を大にして言いたい。
こんな生き物が産まれ生きるくらいなら、猫が1匹救われた方が世界は平和だ。