月に一度は溺れたい

不真面目に真面目なブログです。感情豊かにセックスしたい。

「推し」は「片想い」のいいとこどり

この感情は、「好き」ではなく「推し」。


そう考えることで、片想い特有の苦しみや想い人への罪悪感が薄くなる現象があるようだ。

少なくとも私の中にはあるようだ。



「推し」がいると、業務時間が潤う。
コミュ障の私が話しかけることはほとんどないが、「推し」は誰とでも楽しそうに話をする。
誰かと話している時の楽しそうな笑顔は、何者にも勝る。
マスクをつけていてもわかるその微笑みが、下がる目尻が、幸せな気持ちを呼び寄せる。
すらりとした脚。ベルトにきちんと収まるも、歳相応に少し緩んだお腹も好き。



その日、職場の扉を開けると、「推し」がちょうど出てくるところだった。
ドキッとして立ち止まると、「推し」がソソッと出てきて、

どうぞー

と右手で中を指し示した。
それだけで嬉しくなってしまって、顔も合わせられないままかろうじて「ありがとうございます…」と呟くコミュ障が一匹。



「推し」が散髪された時、前髪で隠れていたおでこを、分け目を作って出すような髪型に変えていた。
表情がさらによく見えるようになり、大人の魅力のようなものを感じた。
ちょうどその日は梅雨に入らんとする時期の週明けで、他にも散髪した同僚は数名いた。
ほかの同僚には「髪、切りましたね」と話しかけられるのに、「推し」には話しかけられなかった。


職場には慣れましたか?
大変なことってありますか?

そんな質問を投げかけてくださる「推し」がただでさえ輝いて見える。
他愛のない雑談から、「推し」と私に、ささやかな共通点があることがわかった。
その日から1週間はその偶然を噛みしめていた。



あの人は「推し」だから。
これは「恋」とかそういうのじゃないから。
ずっと見てるだけでいい。