月に一度は溺れたい

不真面目に真面目なブログです。感情豊かにセックスしたい。

ゼロ距離の唇

お願い。
自分でも、ひどく悲しい声が出たと思った。

そんな、物欲しそうな顔したってダメですよ。

彼がそう言ってなだめてくれているのに、私は求めることをやめられなかった。


昨日の指の感触が消えず、18:15頃に電話をかけた。

どうしましたか?

至極当然の疑問を投げかけられる。
「お時間ありますか?」

まあ、ありますけども

「会いたい……です」
私がそう言うと、いつものようにふふふ、と彼は笑った。

いいですよ。ただ、来るとなるとどうしたものか……

彼が思案している最中、私は「すぐに行きますね」と電話を切った。
大変失礼極まりない。


彼の家の所在は知っていたが、確かに車を停めるスペースが近くにない。
あとから調べれば近くの飲み屋が定休日だったりはしたのだが、その時はそんなこと頭によぎりもしなかった。
右往左往しているうちに、彼が顔を出す。道に横付けして、車に乗ってもらった。

どうしたんですか?

「本当に、話したかっただけなんです」
さすがに呆れたような空気を感じた。車を走らせ、自宅の駐車場に向かう。
結局、車を心置き無く停められる場所ってそこくらいしかない。


この場で詳しく話は出来ないけれど、告白したあの日から、私の状況は大分変化した。
来年度から彼と職場が離れることが急に決まったのだ。
「好きです」
焦っていたことは否定しない。
しかし、今の自分の気持ちは決して「もっと仲良くなりたい」だなんてものではないと、改めて伝えたいと思っていた。
先日はそれを、伝えることが出来なかった。


ふぅ、と時間をかけてため息をつく彼。

では、○○さん。

彼がこっちを見た。
私は彼を見れなかった。

ごめんなさい。


「なんで……」
つい、そんな思い上がりが口をつく。
「や、やっぱり言わなくていいです」

いいんですか?

「じゃあ教えてください」
食い下がる私の様子に、彼は笑った。

私はまだ、○○さんのことをよく知りません。
休日をどんな風に過ごしているのかなとか、どんな音楽を聴くのかなとか。
どんな人なのかな、とか。

ここ最近、少しだけ知れたところもありますけど、と彼は付け足す。

私こそ、なんで私なのか分かりませんし。
こんな状況で、お付き合いは難しいかなと。


「じゃあどうして」
私を思い上がらせたあれは。
「どうして、手を繋いだんですか」
そんなことが気になるのは、私がまだ子どもな証拠なのだろうか?
「今日は……その手を触りに来たんです」
冗談で誤魔化す私の癖が出てしまう。
彼はちゃんと冗談をわかってくれる。

ふふ。
いやぁ……確かに誠実な対応だったかと言われると、言い返す言葉もありませんねぇ。

彼はあくまで彼らしく、のんびりとした口調で答える。

繋いでほしいと求められた手を握り返すことは、自然じゃないですか?

彼は自分の手のひらを見つめながら、そう言った。
私が無言で手を求めると、スっと差し出して私の手を握った。
ひんやりと、冷たい手だった。


今日はあなたに触れに来たのだと、伝えたのだからあとはなりふり構っていられない。
手は好きなだけ触らせてもらったし、綺麗だなと思っていた頬にも手を伸ばせた。
眼鏡も外してみてもらった。
思い残すところは……。
いつも不敵に笑う、唇に視線がいく。


「……そろそろ、帰りましょうか」

……はい、お願いします

1時間以上経っていたらしい。
時間は取らせない、と自分で言ったのに、結局彼を拘束してしまった。
そこに罪悪感を感じていた。
私は車のエンジンをかけた。車のナビの画面が、青白く2人の顔を照らす。
それがあまりに眩しく感じるほど、静かな空間に2人はいた。

まあ、「もう顔も見たくないわ」と思われるのであれば、歩いて帰りますけど。

彼がおどけた優しさを見せる。
優しいところも好きですよ、と言える空気ではなかった。


曲がる場所を間違えて、彼の家の近くの路肩に横付けする。

それじゃあ、また明日。

降りようとシートベルトに手をかける彼。
「待って」
ぐっと彼の袖を引き寄せる。


シートベルトに阻害され、もう数センチ彼が遠い。
胸の辺りのシャツを掴んで更に引き寄せようとして、彼の指が私の顎を包んだ。

それは、だめです。

しかし私はさっき、宣言したのだ。
「待たされてるんだから、私だって手段を選びません」
賢い彼ならば、今の行動とその言葉をしっかりと繋いでくれるはずと信じた。
「……お願い」
ここで引き下がったら、後悔すると思った。

そんな物欲しそうな顔したって、ダメですよ。

からかうように笑われても、私は彼を真っ直ぐに見据える。

……じゃあ、1回だけですよ?

彼の顔が少しずつ近づく。
緊張して、目を瞑るタイミングが分からなかった。


顔が離れる。
目が合うと、私は開口一番にこう言った。
「……ズレてました」

……あー、やっぱりそうでした?

「これは、、1回にカウントできません。ノーカウントです」

どの口がそれを言いますか?

恥ずかしいところを突かれた照れ隠しなのか、彼が顎の下の首のところを指でくすぐってきた。
ぞく、と奴隷の血が騒いだことを、ここ(ブログ)では隠さないことにする。
今のはナシだ、と喚く私を鎮めるように、彼が今度は両手で私の顔を包んだ。
私は馬鹿みたいに言葉を失って、彼の手は私をシートに押し付ける。
スローモーションのようにゆっくりと、焦らすように狙いを定めて、2度目のキスをしてくれた。

……今度は、合ってましたか?

頭を撫で、頬を撫でてくれる。
動物を愛でるような、手つきだった。
それは、夢にまで見た優しい手だった。
指で唇を撫でられると、反射的にその指を唇で追いかけてしまう。
彼の目を見つめながら指に口付けていると、彼の目に少し興奮したような色が覗いた。
少し見下ろすように無言で私を見つめ、珍しいくらいひんやりとした視線で髪や頬や唇を指先で撫でる彼に、私の性なのか、従属に近い気持ちを抱く。
どうして恋人になれないのだろうという疑問もどうでも良くなるくらい甘い時間を、彼の手は作り出してくれた。

もうこれ以上は、しませんよ。

シートベルトを外して、ありがとう、と彼は車を降りた。

また、明日。

念を押すように、彼がそう言ったことを覚えている。
また明日、会いに行ってもいいのかな、と私はまた都合よく解釈しそうになる。


どうせ離れてしまうのなら、彼の中に強く印象に残ってからがいい。